初めてニュージーランドに移住した日本人物語

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ニュージーランドの永住権を持っている日本人は約5,000人程度と聞いたことがあります。

では、過去にいったい何人の日本人が日本国籍を捨てて、ニュージーランド人として帰化したのでしょう。
いろいろ探してもこういった数字はなかなか出てきません。

ニュージーランド人に帰化した日本人の数は探し出せなくても、「ニュージーランド人に初めて移住した日本人」がわかるとしたら、ちょっと興味深くないですか?

今日はそんなお話しです。時は今から遡ること約140年、1872年の話です。

その人の名前は野田 朝次郎

野田朝次郎は1872年(明治5年)、熊本県天草郡に生まれ、船大工だった父の都合で生まれてから数年後に、長崎へ引っ越しました。

彼はある日おこったちょっとした行き違いがきっかけで18才から70才で亡くなるまでの52年間をニュージーランドの地で過ごすことになります。

彼がニュージーランドに移り住んだ理由は、今の日本人が「ニュージーランドに移住したい」と思って渡航するのとは違いました。もちろん誰かに拉致されたわけでもありませんでした。

運命の乗船

1880年(明治13年)のある日、場所は長崎。
船大工だった朝次郎の父はイギリス船の修理をまかされました。そしてその仕事ぶりが非常に良かったため、お礼としてイギリス船の船長から、出航前の船上パーティーに招待されたそうです。

パーティー当日、父は当時8才の朝次郎を一緒にそのパーティーへ連れていくことにしました。

パーティーではもちろんお酒が振る舞われます。
8才の朝次郎にとってパーティーは珍しいことだらけです。でもずっと父といても面白くないので1人で船の中を探検することにしました。

パーティーが始まって数時間、飲めや歌えやで盛り上がるパーティー。父はいなくなった朝次郎のことを忘れてすっかりパーティーを楽しんでいました。

そしてパーティーもお開きの時間になる頃、朝次郎の父は朝次郎がいないことに気がつきました。
ずっとほったらかしにしていたから、きっと退屈で先に家に帰ってしまったものだと思い、1人で家に帰ってしまいました。

ところが朝次郎は船内をずっとを探索していたんです。

そして、あろう事かイギリス船の船員は朝次郎が船にまだ乗っていることを知らずに、出港してしまいました。

ドイツ船との出会い

長崎を離れたイギリス船。

自分が海上に出てしまったことに気がつく朝次郎。

さらに、朝次郎が乗っていることに気がつくイギリス船の船員たち。

本来であれば、逆戻りして日本に帰ればいいんですけど、日程が決められているため日本に戻ることはできませんでした。だからといって、海に捨てるわけにもいかないし、連れて行くわけにもいきません。

船員たちがどうしようか悩んでいると、そこに偶然、自分たちとは逆方向、つまり日本の方へ向かっている船が見えてきた。

なんとかして、その船と連絡を取ると彼らはドイツから来た船で、日本へ向かっていることがわかりました。そこで海上で朝次郎をドイツ船に受け渡し、日本へ返してもらうことになりました。

ドイツ船で働いた10年

イギリス船から、日本へ向かうドイツ船に移った朝次郎。

そのまま日本に帰るはずでした。ところが運命のいたずらがここで彼の人生をさらに狂わせます。
その船はなぜか日本に寄港せず、朝次郎はそのまま世界各地をドイツ船で巡ることになってしまいました。

結局、彼は長崎でイギリス船に乗り込んでしまってから、ニュージーランドの地に足を下ろすまで10年もの長いあいだドイツ船の船員として働くことになりました。

ニュージーランドを定住の地に

1890年(明治23年)、つまり長崎を出港して10年たって朝次郎は18才。
ドイツ船はニュージーランドの最南端ブラフに入港しました。その時、彼は流ちょうなドイツ語と英語をしゃべれるようになっていたそうです。

そこで彼は船での旅をやめて、ブラフの隣町インバーカーギルに行きました。


1900年頃のInvercargill。

インバーカーギルについてからは採掘場やホテルで働いたのち、北島のワイカト地域へ移り、カウリツリーの木から取れるゴム採取を仕事としました。

ニュージーランドに上陸した4年後22際の時には、マオリの女性(Rihi Tipene Te Ahu)と結婚もしました。
そのときマオリの王様Mahuta Te Wherowheroが式の進行を勤めたそうです。そのことから多くの人たちから慕われ、信頼されていたことがわかります。

その頃から彼の名前はAsajiro NodaからTommy Nodaとして知られるようになり、その後ストロベリー農家として成功を収めました。

晩年の朝次郎


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晩年、彼はカイパラ・ハーバーに面したバットレイ(Batley)という町に移り住んだそうです。

1941年12月第2次世界大戦が勃発したとき、日系人は強制収容所に送られるようになり、朝次郎はもちろん彼の子どもも収容所に入れられることになりました。
ところが彼は高齢のために、強制収容所に送られることは免れましたがそれから1ヶ月後の1942年1月70才で亡くなりました。

現在、彼らの子孫はニュージーランドだけでなく、オーストラリアやハワイなどポリネシアに500人以上いるそうです。

140年以上も前の大先輩

今のニュージーランドには日本人だけでなく、中国人や韓国人などアジア人は五万といます。

ところが今から140年前にいったい何人のアジア人がニュージーランドにいたんでしょう。
きっとほとんどいなかったと思います。もちろんインターネットもなければ、電話だってなかった時代。家族と離れてしまって寂しいと感じることもあったと思います。

そんな世界中を旅した彼が、どうしてニュージーランドで船を下りたんでしょう。
具体的な理由はどこを探しても見つけることができませんでした。でも、きっと彼が感じたニュージーランドの良さと、今現在ニュージーランドを好きだと感じている人たちが感じるニュージーランドの良さには共通したところがあると思います。

140年も前にニュージーランドの地に根を張って生活していた日本人の野田朝次郎。
自分とは何の縁もゆかりもない人なんですけど、これからニュージーランドに住んでいる自分にとっては大先輩です。

そんな彼の話を紹介できて、どこかちょっぴり嬉しい気持ちになりました。

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