あれから2年 -Christchurch市民の声-

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Canterbury地方を襲ったあの大地震から今日で2年が経ちました。

あの日、自分たちは偶然Christchurchにいて、地震を経験することになりました。
1年のうち350日はChristchurch以外で生活しているのに、たまたま地震に遭遇しました。

今日は日本の各テレビとか新聞でニュージーランドのことが報じられていると思います。
ニュージーランドでも新聞では、式典が開かれたことなどが報じられていました。

このことについて正直、Christchurch市民ではない、いわば本当に大変な思いをしていない人が、この地震でChristchurch市民がどんな思いをしたのか書くのは何か申し訳ない気がしていました。そんなときFacebookである文章を見つけて、自分があれこれ書くよりこの方の言葉を紹介した方が良いのかもしれないと思いました

被災から復興に向けた気持ち

この文章を書いた方はChristchurchでサムライボウルというラーメン屋を経営されている方です。
自分自身、彼に直接お会ってお話ししたことはありません。お店で働いているのを見かけたくらいです。なので全然面識がないと言っても過言ではありません。

そんな方の「あれから2年」です。
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クライストチャーチで起きた地震で僕らは職場を失いました。

地震当日はヨンシと言う社員が店を出る時、最後にガスの元栓を閉めて出てきてくれました。
僕は一度店から出たものの、スタッフ全員の荷物を取りにもう一度店内に入り真っ暗なスタッフルームから荷物と自分が落とした携帯電話を持ち出したのを覚えています。

後日、自分の車を街から救出し、対策本部のテントに毎日通い自分のお店に入れてもらうようお願いしていました。でもダメの一点張りでした。

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それから数日後、日本で信じられない地震と津波。
仕事もなくパソコンでクライストチャーチの地震や日本の津波の映像を観ていたら気分が悪くなって、一時は何もやる気がしなくなりました。

僕は自分が出来ることは何でもやってみるタイプなので、とりあえず早く働ける環境を作ろうとだけ考えました。もちろん他に仕事も探しました。妻とも仕事の事で何度もケンカしました。「家族を養えるように仕事を探してください」と言われ「自分のやりたい仕事がしたい」と僕。

でも自分のやりたい仕事をするには新しい店を作ってそこで働くしかなかったのです。
もちろん残ってくれたスタッフの事を考えてもそれしかない、その選択が一番正しいと確信し、新店舗の契約、工事着工をいたしました。

更新していなかったフェイスブックを書き込むと、皆さんからの温かいメッセージを沢山いただきました。本当に有難うございました。

その間、何度も余震に遭い、市役所の新しい建築法と戦いながらやっとの想いでオープンできた店。

残念ながら地震でクライストチャーチを離れた方や、職を失った方、財産を失った方、最愛の人を失った方もいらっしゃると思います。

今も2年前と同じくこうやってフェイスブックを見ていられるのは生きている証拠。

復興に時間がかかってもここに住んでいられるので僕は満足しています。

僕の店がいつまでもクライストチャーチで営業できるようにこれから先も雇用促進し、出来る限りお客様に満足していただけるように日々務めるのが僕が出来るクライストチャーチへの復興だと思っています。


原文はクライストチャーチで起きた地震で僕らは職…です。
ぜひ、彼と彼が経営するお店の従業員のためにもこちらに「いいね」をして応援してあげてください。よろしくお願いします。

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本当にいち早い復興を願っています

いろいろ話を聞いていくとChristchurchは街から若い人、それと若い子どもを連れた家族の流出がすごいそうです。
それは住んでいる人たちが、自分たちや自分たちの子どもの未来をChristchurchでは見いだすことができなくなったからではないか?と言われています。

若い人がいなくなれば復興は遅れ、復興が遅れればさらに若い人達はいなくなってしまいます。

自分が何をするのが復興に繋がるのかわからない人や、そもそも復興に貢献しようと思っていない人がいるなか、こうやって声に出して復興へ向けて行動できているのは素晴らしいことだと思います。

自分自身、Christchurchの住民ではないので何ができるかそれこそわからず、何もできていない状態ですが、こういう頑張っている方たちを日刊ニュージーランドライフを通じて応援していきたいと思います。

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