海外に来て感じた宗教の良いところ

先に断っておきますと、自分自身は宗教を信じていません。
中には宗教アレルギーみたいに極端な拒否反応を示す人もいますけど、それほどではなく、何となく自分の中にある気持ちと一致しないので、特定の何かを信じたりしていない程度です。

そんな自分自身がニュージーランドに来てから「あ、宗教に入っているのも悪くないのかもな」と思ったことが幾つかありました。今日はそんな出来事について書いていきたいと思います。

本編を書く前に

少しだけ本編の前に書いておきたいことがあります。
宗教と言って思い出すのは人それぞれだと思います。宗教という顔をして教祖を立てて布教という名前の営利目的の行動をする団体とか、危険な思想を持つ人が先導するもの、それ以外にまったくそういう思想がなく、つつましく本当に人びとの幸せを願っている宗教もあると思います。

その辺をいろいろ混ぜないで読んでください。
ここで登場する宗教は危険な思想を持っていなくて、程度の差こそあれ運営するための寄付は求めるけど、50万円でツボを買わせたりしない「つつましい宗教」の話です。

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© Jordan Dawe

余談ですけど、なぜホテルとかに聖書がよく置いてあるか知ってますか?
以前、なんでホテルには聖書が置いてあるんだろうと言う記事を書いたことがあります。興味がある方はどうぞ。

大人になっても学べるある種の道徳

日本人は子どもの頃から学校で「道徳」を学んだり、国全体が「一般常識」というか「モラル」というか、「社会道徳」みたいな何かに満たされているように思えます。

これはきっと村社会で秩序を守り、団体生活をつつがなく送るために仏教とか神道の考え方が「宗教という顔」をすることなく生活に溶け込んだ今は日本の文化だと思います。

ところが海外には日本ほど「常識」とか「道徳」がありません。
その代わりあるのが「宗教」です。多くの人たちが宗教の教えを心の支えにして日々生きています。

それに大人になってからも「人として」「親として」などさまざまな判断基準を宗教から学んでいるのを見ると、日本の道徳との違いを感じずにはいられません。

また何か困ったことがあったときの、心のより所として存在するというのも興味深いです。
「神」という超越した存在があるからこそ、自信を持てたり安心できたりするのは、宗教を信じていない自分からすると不思議です。

でも、そういう存在があるのは悪くないのかもしれません。

Christchurch Cathedral

人と人を繋ぐ媒体にもなる

宗教にもよるんですけど、海外に移住してきて、誰も知らない街に行ったときに教会などへ行くことで同じ宗教の人たちと出会えるのも宗教の良いところにあげられると思います。

同じものを信じて、同じものを心のより所にして、ある意味同じ道徳の中で生きている人たちが周りにいるのは、心強いですよね。

ワーホリ時代を含めて、海外に来てホームステイの家族、そして宗教で繋がった家族と仲良くしている人たちや、移住してきて同じ宗教のコミュニティーの人たちからいろいろなサポートを受けている人を見ると「宗教も悪くないかも」と思えました。

宗教の悪いところは…

自分の場合1つだけ困ることを書くと、宗教を信じていないので、誰かと話をしていて何かの判断基準として聖書を持ち出されると厳しいです。
お話し終了のチャイムがチーンとなってしまいます。判断基準のラインが交差することはなかなかありません。

個人的に感じるのは宗教が理由になると戦争にもなり得るのは嫌ですね。あとは人ぞれぞれ感じるところも違うと思うし、ネガティブな事なので書くのは控えたいと思います。

これからもこれまでも何かの宗教を信じることはないと思います。
でも、読み物として聖書、物事の考え方とかを教えてくれる書物としての聖書には興味がすごくあります。

皆さんにとって宗教ってどういう存在ですか?
Facebookページにご意見ご感想聞かせていただけたら嬉しいです。

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