6月18日は”海外移住の日”から想うこと

今日6月18日は「海外移住の日」です。

「ニュージーランド」という枠からは少し離れてしまうんですけど、自分自身海外に移住したわけなので、すでに海外に住んでいる方もこれから海外で長期短期を問わず生活したい人にとっても、大切な記念日かな?と思って紹介してみることにしました。

まずは何で海外移住の日が6月18日なのか。
そんなところから話を始めてみたいと思います。

6月18日が海外移住の日なワケ

海外移住の日は昭和41年、1966年に当時の総理府、現在の内閣府によって制定されました。

余談ですけど、キウィフルーツの日っていつか知ってますか?
9月1日です。語呂合わせで91、きゅういち、きゅーいち、キウィだからです。ゼスプリが決めたみたいです。

さてさて、では何で海外移住の日が6月18日になったのでしょう?
6月18日、618、ろいは?むいや?ろくいち… 語呂合わせで決まったわけではないみたいです。

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© Wikipedia

その理由は今から100年以上も昔、1908年(明治41年)4月28日の兵庫県神戸市にまでさかのぼります。
その日、ブラジル移民の最初の団体781人を乗せた移民船「笠戸丸」が、ブラジルのサンスト港に向けて出発しました。そしてその後、50日をかけて神戸港→シンガポール→南アフリカのケープタウン→と言うルートを取って航海し、6月18日に無事サンスト港に入港しました。
その後、1973年までこの航路は定期航路として活躍し、13万人もの人々をブラジルに運びました。

そんな「最初のブラジル移民がサンスト港についた日」を記念して6月18日は「海外移住の日」と定められました。そしてブラジルでは「日本人移民の日」として定められています。

2度と戻れない片道切符

当時は今とは違って海外移住は二度と戻ってこれない片道切符です。

1970年代までの間に、北米やハワイ、中国などに40万人とも50万人とも言われる移民を送り出した神戸の地は、その人たちにとって「二度と戻れないかもしれない最後の日本の地」となったわけですね。

ちなみに日本人初の集団移住は、大政奉還を終えてすぐにハワイへ農業移住した120名、ニュージーランドに最初に移住し、帰化した日本人は野田朝次郎さんと言います。以前記事で紹介したことがありますので、そちらをご覧ください。

ちなみに笠戸丸が通ったルートはざっくり書くとこんな感じです。

View ブラジル移民のルート in a larger map

今とは全く違う覚悟と考え方

当時、日本から海外に移住した人たちは、自分たちを含めて現代の人たちが「海外に移住する」のとは全く違う意味を持っていました。

ほとんどの人たちは自分の意思で海外に出たわけではなく、もちろん自分のお金で海外に行けるわけもありませんでした。
もともと彼らは国同士が条約を結んで、人が足りていないブラジルなどの国に、人が余っている日本人を労働力として送り込むという要素が強かったそうです。

もちろん彼らは「現地で行うコーヒー栽培で一攫千金も夢じゃない!?」というようなうたい文句に踊らされ、夢を見てブラジルへ渡りましたが、結局は酷く安い賃金と、奴隷と変わらない過酷な労働環境が待っていました。

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© wikipedia

しかも集団移民は「働き手が3人以上いる家族で移住」が原則でした。
そのため、家族を残して一人逃げたり、家族という大所帯を連れて逃げ出すことは不可能と言うどうにも逃げ場がない状態だったんですね。

現代の移民の一人として

彼らの思いと現実と、自分の思いと現実を比べるとなんだか恥ずかしささえ感じてしまいました。

もちろん時代は違うし、いろいろ違うんですけど、自分はもっと頑張らないといけないぞ!もっと頑張れるはずだ!と思えました。

まだニュージーランドなど海外に移住していないけど、これから移住をしたい人たちにとっても、当時の人たちのことを思えば、いろんな方法で移住する道があるように感じませんか?
最近Facebookに「ニュージーランドに移住を夢見ています」という方から連絡をよくいただきます。そういう方たちにもぜひ一度読んでもらえたら嬉しいです。

なんだか書いておいて勝手になんですけど、すごくブラジルに最初に移民した人たちの話を知って力をもらった気がします。
今度、日本に帰ったときにそういう自分たちの大先輩に当たる移民した人たちの記念館などに行ってみたいと思います。

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